朝日新聞社「アサヒグラフ」

1998年10月2日号
「ドールシアター No.37」

取材:船木敬子 撮影:湧井直志

 

喜怒哀楽を共有する
生き人形づくり


「時間との戦いなんです。起きたら食事もそこそこにつくり始めて、お風呂から出ても、人形と向かい合う。手を休めるのは寝るときだけ」
 この五年間、堀佳子さんは年1回のペースで個展を開催。そのたびに、1メートルを越える大作を含む十数体の作品を発表してきた。おっとりとした性格の堀さんが、精力的に仕事をこなす姿に周囲は驚いたそうだ。
「ここ十年くらい、映画を見ることもウインド−ショッピングの機会もほとんどありません。でかけないことに慣れて、本屋にいくのさえ怖い。表紙の活字がみんなで、『買って、買って』と言っているように思えて・・・・・・。体の置き場所が街のどこにもなくて、もう帰ろう、人形つくっているほうが楽しいと思ってしまう」
 育った環境は、「トトロの森」のような自然の中。人込みが苦手だった堀さん。かつて、東京の大学に進学したが、新緑の季節に「縁がない」と愕然、一ヶ月で退学を決意した。
 短い大学生活での収穫は、本屋さんで見つけた超現実派画家ハンス・ベルメールの人形作品集。人形の胴体や手足が投げ出された姿に、「人としての人形」の生々しさを感じ、人形作家への道筋を見つけた。
「幼いころから、人の顔を描くことが好きでした。人形に興味を抱いたのは小学生のころ。NHKの人形劇『新八犬伝』に登場する玉梓なんです。人形で怨霊を表現できることが面白かったし、表情も豊かだなと」
 帰郷後、独学に人形づくりに励むかたわら、球体関節技法をマスターするために、人形作家の吉田良一さんに入門。新幹線で月一回の上京を一年間繰り返した。同時に、地元の彫刻家・武田譲さんにも師事し、三年間、毎日のように彫塑を学んだ。
「彫塑は人形的になると致命傷的と言われるんです。でも、武田先生は同じ人間のかたちだから、登り方は違っても、頂点はひとつのはずと教えてくださいました」
 こうして築いた人形づくりのポイントはいくつかあるが、特にこだわるのはまなざしと肌質だ。
「生き生きとして力の出る目線があるでんす。1ミリのずれも妥協できない、ここだと感じるところです」
 用いる義眼は友人のガラス細工作家にサイズを特注、瞳の色づけは堀さん自身がする。あえて、黒目がちの甘く見える瞳を避け、白目の部分を多くしている。顔は発泡スチロールに石塑粘土で大まかに肉付けし、輪郭をつくる。乾いたら中身を取り出し、目を入れ、さらに細かく肉付けする。目を入れると胴部の制作へと気持ちがはやるのが普通だが、頭部をつくったまま、しばらく中断していた作品が左ページのもの。
(嶋村注:ここでは上に表示されています)
「目を入れたら、その瞬間から"生まれた人形"になってしまう。それが、完成させたくても、うまくいかない。男の人の表現が分かるまで、五年かかりました」
 体の表面は胡粉を塗り、油彩、水彩、パステルなどで仕上げる。
「その前に、ひたすら磨きます。体紋という皮膚の感じを表すために、磨いて、また、粘土をつけて、削って、磨いてと、気が遠くなるほど作業を繰り返します」
 美肌を演出する手法は取らない。
「人間だからしかたのない汚い部分や陰りを、作意はないけど、自然に全体で表現したい。表面の美しさより、心の深みを色にしたいのです」
 つくりすぎるとグロテスクな表情になるし、評価を意識すると媚びが出てくる。テーマを決めた連作は作品の密度を落とすからやらないなど、制作信念の維持には苦労する。
 完成した人形は別室に置き、個展に出すまではほとんど見ることはない。
「つくり手の宿命として、その人形を一生愛してはあげられない。私は次の人形に向き合わなきゃいけないし、人形はひとりの人に迎えられて、家族のなかで息をしていく。人形がそれを待っているのが分かるから」
 個展会場で人形を運ぶ堀さんは、抱いた人形の尻を赤子をなだめるようにたたく。それが別れであると人形たちも知っているのかもしれない。

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